Aoi❇︎レディース古着転売

副業でレディース古着転売をやってます。本業はアパレルスタッフ、好きなことを仕事にしています。古着転売に関しては初心者ですが試行錯誤で学んだノウハウや経過を発信していこうと思います。

若干21歳で【古着屋の店長】 兼 【夜の蝶】になったレディース古着転売ヤーの自叙伝

こんにちは、レディース古着おてんばいやー(改名)のAoiです。

 

最初に謝らないといけないことが…

長くツイッターのプロフィールに「若干二十歳で…」と記載してましたが、思い直してみれば21歳でしたm(_ _)m

どうでもいいし、見てないしw

と思われると思いましたが、一応訂正させてください。

 

スッキリしたところで今回は私と古着の出逢いから、因縁関係までのお話。

発信する機会も増えたので、まず私の事を話せる限りは知っていただきたいなと筆を取りました(古っw)

ご興味ない方は閉じちゃって下さい。

 

 

 1、古着との出逢い

古着と出逢ったのは高校卒業して、進学のために実家を離れた18歳の春でした。

私が進学したのは地元から一番近い福岡にある、あのB服装学院の姉妹校でした。

 

小さい頃からリカちゃん人形の服など自分で作っていた洋服大好きな私は

小学生の時はアムラー安室奈美恵に憧れてw)

中学の時はロリータ(ご近所物語に憧れてw)

高校の時はストリート(Dragon Ashに憧れてw)

 

そんなミーハーな性格でしたのでファッションの学校で福岡といえば古着でしょ!!

とキャラ設定のため、入学の2日前に買い物に出かけました。

たまたま自転車圏内の場所に可愛い古着屋があるのは目をつけていたので

そのお店に入ったのが初めての出逢いでした。

 

ものすごく派手な内装、無地の服ある?ってくらいに柄モノ、

パッチワーク、ベロア、刺繍、そんな漫画のような世界に

何を手にとっていいのやら、ぼーっとしてたんですね。

そんな時その店の店長に話しかけられたんです。

明後日が初登校だということ、古着は着たことがことがないから組み合わせがわからないことを伝えたのは覚えています。

 

そこからは本当に覚えてないくらいに夢のような時間でした。

頭にはスカーフを巻かれ、ざっくり編んである金ボタンのついたカラフルなカーデに

ド派手なスカート、おもちゃみたいな靴・・

あっとゆう間にコーディネートは完成され

今までであったことのない自分が鏡の中にいました。

あの時の感動は10年以上経った今でも覚えています。

 

そしてワンコーデだけだと毎日着るわけにもいかないので

3日分くらいコーデを組んでくれました。どれも着たことないものばかりで

ドキドキしながらも、どのコーデもしっくりきたんですよね。

 

そして私はそこで未成年ながら初めてのクレジットカードを作ることになったのです。

私がその1回で買った古着の総額は10万円でしたw

バイトもしてない高卒上がりが洋服に(ましてや古着)10万はアホです。

当時誰にも言えませんでした。

クレジットの支払いも10回払いにしたのを覚えています。

というかクレジットカードの仕組みも知らなかった私に

「分割にすれば大丈夫だよ、1ヶ月1万なら余裕♪」とその店長が教えてくれたのです。

今思えば全部ノーブランド!!昔の古着は高かった。

 

それでもその10万はかける価値のある買い物となりました。

そのコーディネートのおかげで私は入学早々、クラスのファッションリーダー的な地位を先取りできたのです。

「Aoiちゃんっておしゃれだね〜」「それどこで買ったの?」

とみんなが目に止めてくれるのが嬉しかったんです。

承認欲求がとにかく強かったんですね、青いわ〜w

オシャレな古着を着ていると自分に自信が出て積極的になれました。

高校の時にクラスでハブられ不登校になり引っ込み思案になっていた私を

元のおてんばな自分に戻してくれたのは古着でした。

それからというもの、休みの日は古着屋にどっぷり浸かり

自分の部屋も古着屋みたいにしたくて、古着屋に売っている

トランクケースや外国のガチャガチャの機械までインテリアとして購入。

ジュースボックスも本気で欲しかったなぁ。SPINSによくあったやつ・・

この頃は古着に対してとてもいいイメージを持っていました。

 

2、就職から転職までの葛藤

 そんな私もアパレル会社に就職が決まり、

最初に働いたのはデニムを売りにしているカジュアルブランドでした。

サルエルパンツが流行った時代w 短足スタイルブームでした。

市内でも中心地にあるファッションビルで働きがいのある職場でした。

そこに1年ほど務めたある日のことでした。

当時お買い物に行っていた古着屋の店長から突然連絡があったのです。

「話があるからお店に来て欲しい」

職場も近くだったのですぐに私はその古着屋に行きました。

 

そしてその店長の話というのが地獄?の日々の幕開けだったのです。

 

「実は私遠くに引っ越すことになってお店の後がまを探してたんだけど、うちのオーナーが引き抜きに偵察に回っていたら良さそうな子がいたって。」

「お店の名前聞いてみたらAoiちゃんのお店でさ、特徴聞いたらやっぱAoiちゃんだったの。今のお店もやりがい感じてるっていつも話聞いてたけど

私もAoiちゃんなこの店任せたいな、一回オーナーに会って話だけでも聞いてみてくれないかな?」

 

私のその時の衝撃と葛藤はすごかったのをよく覚えています。

 

初めて就職したお店も新人から厳しく育ててもらい

自分を成長させるいい環境だし、

何と言っても職場の先輩たちを裏切れない・・

でも当時姉のように憧れて慕っていた古着屋の店長が

こんな若造にありえないお願いをしてくれたこと、

かもたまたまオーナーにも見つけてもらって運命としか思えなかったこと。

どっちもやりたい!!って本気で悩みました。

 

しかし私は昔から新しい物好きの綱渡りの人生を選ぶ方だったので

表面上では円満退社をし、古着屋の店長としてお店に立つことに決めたのでした。

 

3、個人店の厳しさを目の当たりにする

それは出勤初日からでした。

もちろん今まで買い物で利用していたお店だったので

お客さんは多くない事は知っていました。

駅から徒歩圏内ではあるものの、路面店のちょっと小洒落たテナントビル。

吹き抜けの縦長い作りでアパートの様にひとつひとつの店にドアが付いていました。

私のお店は3階。なかなか登ってきてくれないんですよね、

雨の日なんかもう最悪。入店客だけで5名いかない日もしょっちゅう。

 

当時から販売力には自信があったので(鍛えてもらったおかげですが)

いかに入ってきたお客様に購入してもらうか、顧客になってもらうかを

毎日毎日考えていました。

そんな私にオーナーは言いました。

「夜とか利用して飲みに出て名刺配って営業しておいで」と。

今思えばかなりのパワハラ。私がお酒が飲めないと知っていながら

労働時間外に自腹で営業してこいと・・

でも素直な21歳は言われるがまま努力をしました。

お店のフライヤーを置かせてもらったり、

ソフドリなんですけどカウンター座らせてもらっていいですか?

とか慣れない活動もしながら奮闘していました。

 

4、ダークな雇用形態

私は転職するときにお給料の話をしてもらったのですが

「固定給手取り10万、保険なし、売り上げの10%が人件費で10万以上は歩合制、

売れば売るほど稼げるよ」といううまい話でした。

あっ、ちなみに従業員は私だけだったので約1年ほとんど休みもありませんでした。

そして実際手取りでもらえるのも11万とか12万。

私が当時住んでいたマンションは約7万の部屋でした。

どうやって暮らせというのでしょう?

気がつけば、売り上げが立たない日は自分のお給料もなくなってしまうので

架空の売り上げを立て、クレジットカードを切っていたのです。

カードはローン払いにして手取りの10万を手に入れるために。

もちろんそれだけでは暮らしてなんかいけません。

 

私は夜のバイトも掛け持ちを始めました。

お酒が飲めなくても美人じゃなくても、中洲の女(言い方w)になったのです。

勝手に夜のお店は危ない・・と思っていましたが意外にあったかい人が

多かった様な気がします。怖いママもいましたが私がこの仕事を続けて行くためだ、

と思うと面白くないおじさんの話の相手も

睡眠時間が短くなっても頑張れました。

唯一楽しかったのはやっぱり夜の姿に変身するときでした。

夜のお仕事の派遣会社に所属していたので事務所があり

そこには複数のヘアスタイリストさんがいて、ドレスやスーツはレンタルでした。

今日はこのドレスにして髪はこんな感じにアップにしてもらおうとか

昼間は想像つかない姿に変身して、違う名前で呼ばれると違う自分になれたんです。

それももしかしたらバランスを保つためによかったのかも。

そんな身体にむちゃくちゃな生活を続けていました。

 

5、過酷な中で楽しさを見つける

そんなダークな職場に転職してしまった私ですが

オーナーはお店のことは完全放置だったので(他の事業で忙しく)

全て好き放題にしていいよと言われていました。

ディスプレイももちろん、仕入れ値を設定され韓国に仕入れに行けたこと

ここでは新品のものを仕入れに行ってました。

ネット仕入れもこの時に学び(当時はイチオク)新品も扱っていました。

 

バックヤードにはオーナーが長年海外から仕入れてきた

価値のなくなったリーバイスエドウィンの山。

それを好きに使っていいとも言われていたので

お客様のいない時間(だいたいいない)を使ってリメイクをしました。

ハギレを合わせてスカートにしたり、バッグにしたり。

当時デニムリメイクはとても流行っていてそれが好評だったんです。

自分が手をかけた服を可愛いと選んでもらえる喜びはひとしおでした。

そんな体験を21歳でできたのは本当に貴重でした。

ただやはりこんな生活、続くわけがなくしまいに心も身体も崩してしまい

1年でここの会社も去ることになりました。

そして夢半ばで地元に帰ることになったのです。

 

6、そして10年以上の時を経て再び

地元に帰ってからも色々ありましたが色んな経験を経てw

私が上京してきたのは30歳の年でした。割と最近なんです実は。

Aoiはシティガールじゃないんですw

人生の転機とは全くわからないもので、今までの軌跡が今の自分を作り上げています。

そんな時に東京で「古着転売やった方がいい」という仲間の呼びかけに

最初は完全に疑いの気持ちでした。

 

もう今の時代難しいでしょ、古着は売れないよ・・

そんなイメージが植えつけられていたのです。

それなのに私はやってしまうんですよ、もちろん古着好きなんで。

というより、売り手の力で価値ある服を蘇らせたい、そういう気持ちが大きいんです。

そして声をかけてもらえたことも必然だと思ったからです。

 

そして私は今、副業という形でまた古着と向き合う生活をしています。

10年前の悪い古着のイメージは払拭され、その時に叩いた苦労やお金も

全て取り戻すことができました。

いや、それ以上のものを手に入れたと感じています。

もう私はあの頃のことを思い出してオーナーを恨んだりはしていません。

出逢った人、救ってくれた人、支えてくれた人に感謝できる様な人間になれたのは

苦しい時期もあったから。その出逢いの一部が古着です。

これからもアパレル業界が廃れることのない様、自分のできること頑張りたいと思います。

 

そんなAoiの古着との因縁関係のお話。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

副業NGな会社に所属しているため色々公にできず

細々とですが、少しAoiという人間を知っていただけると嬉しいです。

 

Your life is wonderful!